徒然草 家居 の つき づき しく。 徒然草『家居のつきづきしく』現代語訳(1)(2)

徒然草『家居のつきづきしく』解説・品詞分解(1)

) また、時の間の煙ともなりなむとぞ、うち見るより思はるる。 また、あっという間に焼けて煙になってしまうだろうと、少し見るだけで想像できる。 そうあって欲しいから、家なんて仮の宿とは思いつつ興味は尽きない。 木登りの名人と言われた男が、人を高い木に登らせて梢を切らせていました。 今風に華やかでもないが、木々はどことなく古めかしく、特に手をかけたようてない庭の草も趣のある様子で、 今めかしくきららかならねど、木立ちものふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、 縁側と垣根のぐあいも風情があり、 簀子・透垣のたよりをかしく、 それとなく置いてある家具なども古風に感じられて落ち着いているのは、奥ゆかしく見える。 し=過去の助動詞「き」の連体形、接続は連用形 まことや=感動詞、ああそうそう、ほんとにまあ、そう言えば確か あの(後徳大寺大臣の)例が自然と思い出されました時に、そう言えば確か、 「 烏 からす の群れゐて池の 蛙 かえる をとり けれ ば、 御覧じて悲しま せ 給ひて なむ。

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古文の徒然草の家居のつきづきしくという作品で、結局作者は、家居はどうあるべきだ...

素晴らしい自然や普通の生活に感謝しなさいと言っているのではなくて・・・ 本当は贅沢なことなのに、それに気付いていないと言っているのでもない。 調和している、ぴったりで好ましい。 出家した人の草庵では、水石をもてあそんで、死を忘れようとしますが、とても儚いものです。 以下がその内容です。 私も、草取りをさぼっているとたちまち草に覆われて、うらぶれた印象の家になってしまいます。 大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。 無風流な人は、花が散ってしまうと見る価値がなくなると考えるようです。

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古文の徒然草の家居のつきづきしくという作品で、結局作者は、家居はどうあるべきだ...

10月ごろに栗栖野というところを通り過ぎて、人を訪ねて分け入ることがあったのですが、もの悲しい状態にして住んでいる草庵がありました。 この殿のお心は、その程度であったのだ。 」 と、私は石を吹いてみせた。 この殿の御心はこの程度か」といって、それ以後参上しなかったと聞いていましたので、 綾小路宮(あやのこうじのみや)性恵法親王がお住まいの小坂殿の棟に、いつだったか縄をお引きになっていたので、西行の例を思い出してありましたら、まあ、なんということでしょう。 8 イ)ワ行上一段連用形 ロ)「ば」の前の「たれ」が已然形であるので、順接の確定条件。

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徒然草『家居のつきづきしく』解説・品詞分解(2)

[作りなせる] …のように作っている。 「す・さす・しむ」には、「使役と尊敬」の二つの意味があるが、直後に尊敬語が来ていない場合は必ず「使役」の意味である。 さてもやは、ながらへ住むべき。 よき人の、 のどやかに 住みなし たる所は、さし入り たる月の色も、ひときはしみじみと見ゆる ぞ かし。 ああ、こう書くと、何かが違っていく気がして仕方がない。

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古文の徒然草の家居のつきづきしくという作品で、結局作者は、家居はどうあるべきだ...

大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。 大体は、住まいによって、ことの様子(=住む人の人柄)はおのずと推察されるものだ。 この南北朝時代は、1392年の足利義満により南北朝の合一がなされるまで続きました。 調度(ちょうど)=名詞、身の回りの道具・家具など こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。 以下がその内容です。

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徒然草 第十段 家居のつきづきしく 庭は主人を表す

B 係助詞の「なむ」 理由 活用のない接続助詞「て」に接続しているからです。 ところで、綾小路宮様の住まわれます小坂殿の屋根にも、いつぞや縄を張られてましたのでその西行法師の話を思い出しました。 そうやってしみじみと思っていると、たくさんの実がなっている大きなみかんの木があり、その周りが頑丈に囲ってあるのを見て、少し興ざめして、この木がなかったらなあと思いました。 徳大寺(に、住む後徳大寺の大臣の場合)にも、なにかわけがあったのでしょうか。 住まいを見ることによって、そこに住む人の人柄は推察できるものです。 (第11段)神無月のころ 神無月とは10月のことです。

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